産みハル育てハル

2016年9月待望の第一子出産予定

妊活にいたるまで②~私は子どもがきらいだった~

妊活を始めるにあたって、結婚後約2年もの間が空いてしまったのには「仕事」以外にもう一つ理由がありました。

私は子どもがきらいでした

というか、正確には「子ども」を躾けられない「大人=親」がきらいだったんだと思います。例えば公共の場でルールを守っていない子どもを見かけた時、私は「うるさいな」という感情を抱いてしまうことがありました。私はそれを「子どもに対してこんなにイライラしてしまう自分はきっと子どもがきらいに違いない」と思い込んでいたのですが、今思えばそれを放任という名にかこつけて放置している親に対しての苛立ちだったのかなと思うのです。
まあそんなわけで、「子ども」=「うるさい」=「イライラ」と認識してしまった頃から、具体的に思い出すとたぶん中学生くらいの頃から私はてっきり子どもがきらいだとばかり思っていました。

そんな思いは結婚後もしばらくの間続きました。子どもがきらいだと思い込んでいるので、自分の子どもが欲しいだなんて考えることもなかったし、自分が子育てをするだなんて想像もできませんでした。だから、そんな母親のところに子どもを授かるわけにはいかない、子どもがかわいそうだという思いがずーっとあって、自然に「ああ子どもがほしいなあ」と思えるようになるまでは解禁しちゃダメだと思っていたのです。
で、そう思えるようになったのが結婚2年後という頃でした。

 「きらい」とは一体なんだったのか

今はどうかというと、道行く子どもみんな可愛く思えます。私にも母親の素質があったのだとちょっとびっくりするくらいです。妊娠してからその思いが強くなったのはもちろんなのですが、妊活中の2年の間に、それまでは目にとめることもなかったのになんだか自然に子どもを視界にとらえている自分がいました。(不妊治療中は子供連れを見るのも辛かったんですけどね、子どもに対する苦手意識はすっかり消えていました。

公共の場で騒ぐ子どもに対してはやっぱり今でも「うるさいなあ」とは思います。でも、昔みたいなトゲトゲした感情ではなくて、お母さんに対しては「がんばれお母さん!」という気持ちになるし、子どもに対しては「そんな世界の終わりみたいに泣かなくても大丈夫よ」と同情のような憐みのような愛おしさのような感情でいられるようになりました。

「子どもがほしい」という気持ちにそこまでこだわる必要はなかったのかなと今になってみれば思いますが、でも、そう思ってからの子どもだったからこそ妊娠が分かった時の喜びはひとしおでした。同時に、そう思ったからこそ2年ものベビ待ち期間というのには耐えがたいものがあって、一時は「子どもきらい」なんて言っていたから罰が当たったのかなと思いつめたりもしたものです。でもきっと、その2年という期間も私にはなくてはならなかった期間だったのだろうなと今だからこそ思えるのでした。