産みハル育てハル

2016年9月待望の第一子出産予定

【全部ホルモンのせいだ】産後1ヶ月の心の変化まとめ

ご無沙汰しております。
我が子もいよいよ2ヶ月を迎えようとしています。
この2ヶ月、あっという間に月日が流れていきました。1日は赤さんの相手をしているだけで光の速さで終わってゆきます。今年もあと1ヶ月とか嘘だろマジで・・・

そんな今日は、私の産後1ヶ月の気持ちの変化をまとめておきます。怒涛のような1ヶ月でしたが、もうとにかく気持ちの上がり下がりがジェットコースターのよう。情緒不安定すぎワロタ状態の1ヶ月。話には聞いていましたが、産後のホルモンの変化は舐めちゃダメ、絶対です。

 

産後1週目

出産~退院までの期間です。産後すぐのアドレナリン大放出ヒャッハー!!状態が落ち着くには丸一日くらいかかりました。まあ、産院のベッドと枕が固すぎて全然眠れなかったというのもあったかもしれません。気持ちが落ち着いた出産3日目の夕方から母子同室に挑戦してみたのですが、もうこれがとにかく精神的ダメージが強すぎてここで一気に心が折れました。もうホントにそれまでどんだけ脳内お花畑だったの?ってくらい現実を突き付けられた気分でした。おっぱいを上手にくわえさせられない、泣き止ませられない、寝られない。今でこそ「そんなの当たり前じゃん、母親3日目だぜ」と鼻で笑えますが、当時はその状況が受け入れられず「子育てとかもう無理辞めたい」とか思っていました。4日目の退院前健診では先生の前で号泣。退院後の生活に不安はありましたが、とにかく早くたーくんに会いたくて退院が待ち遠しかったです。

 

産後2週目

退院後休む間もなく始まった赤さんとの生活。赤さんが起きたらおっぱいをあげて、赤さんが寝たら私も寝て、家事は放棄、起き上がるのはトイレに行ったりごはんを食べる時だけ、一日パジャマ生活。正直、身体的な面ではそんなに大変ではありませんでした。我が子はよく眠る子で3時間、へたすると4時間空くときもざらにありました。泣き止まないなんてこともほとんどなく、とにかくお腹さえ満たしておけばOK。でも、この週が一番きつかったと言っても過言ではないです。次から次へと言いようのない不安が襲ってくるのです。「魔の三週目が来るのが怖い」「もうたーくんと2人でお出かけできないんだ」「そういえば先月の今頃は○○していたっけ」「いつになったらたーくんとまた一緒に寝られるようになるんだろう」・・・母親になったというのに産前の生活が恋しくて、そしてそんなことを思ってしまう自分に自己嫌悪。母親失格だ、そもそも私は母親に向いていなかったんだ、あんなに子どもを望んでいたのに、結局子どもをペットか何かみたいにしか思えていなかったんだ・・・特に旦那さんと以前のように過ごせないということが一番ツラくて「なんで産んでしまったんだろう」なんてことまで思いました。(念のため言っておきますが、今はそんなこと微塵も思いません。今は3人で過ごす毎日が楽しくて幸せです。)
そしてもう一つ私を悩ませたのが母乳の出が悪いことでした。産前は「保育園に預けることも考えて混合でいいや~」なんて軽く考えていて、まさか母乳が出ないなんてこれっぽっちも思っておらず、なんの心の準備もできていませんでした。結果、実母と実祖母からの「母乳一番!」に涙し、かと言って完ミに踏み切ることもできず、本当にツラかったです。「母乳 出ない」とか「完ミ メリット」とかいっぱい検索しました。(母乳の話は長くなりそうなのでまた別の記事で書きたいです。ちなみに今は無事出るようになって、ミルクはお風呂上りに半ば無理やり足してるって感じになりました。)

 

産後3週目

精神的にも肉体的にも限界が近づいていました。よく寝る子と言っても3時間の細切れ睡眠で、私はまだそれに体が慣れていないし、子どものリズムも全く掴めずまさに振り回される毎日。ある日ぷつりと糸が切れて泣く子を連れて2階の恋い焦がれたベッドに転がり込みました。(それまでは助産師さんに階段は上っちゃダメと言われていたので一度も2階へは行っていませんでした。)そのベッドが懐かしく幸せで、ああもう私無理だと思いました。帰宅したたーくんが暗闇の中泣きながら授乳する私を見て、「今日は俺が見るから、ベッドで寝てくれていいよ」と言ってくれました。週の始めでたーくんだって仕事で大変なのにそんな甘えられないと思いながら、気づいたら朝の6時になっていたのです。疲れすぎて爆睡、というわけではなく、何度も何度も「起きなきゃ、起きなきゃ」と思いながら体が動きませんでした。たーくんにはもちろん、子どもに対して罪悪感でいっぱいでした。やっぱり私に母親は無理だと思いました。
が、その次の日、それまで鬱々としていた気持ちが一瞬で晴れたのです。というのも、たーくんと喧嘩をしました。それが私を我に返したようです(笑)唐突に現実を受け入れられ、「やるしかねえな、私母親だし」と無我の境地に。それまであんなに思い起こしていた過去の思い出を恋しく思うこともなくなり、日中は赤さんとの生活を楽しめるようになったのです。

 

産後4週目

イライラすることもあるし、悩みも相変わらず尽きませんでしたが、この当たりからようやく赤さんのリズムを掴めるようになってきました。リズムが掴めると行動に順序立てができるのでストレスがかなり軽減。また、体もだいぶ復調してきて掃除や洗濯といった家事はこなせるように。助産師訪問や友人がヘルプに駆けつけてくれたりと、人と話す機会があったこともリフレッシュになったように思います。そして何より、この週を超えれば1ヶ月検診で、それが終われば外出できる!!!という希望が心の支えになっていました。この頃になってようやく本来の自分を取り戻せていたように思います(笑)

 

そんなわけで産後1ヶ月の心の変化まとめでした。これがまだほんの2ヶ月前の出来事だとか嘘だろ・・・
主婦業に本格的に復帰した今はまた別のイライラが始まりましたが(靴下脱ぎっぱなしにすんなとか、食べ終わったら食器持って来いとか笑)、それはそれで平常運転を実感できています。
赤さんは1日1日成長が目に見えて本当に可愛い。そして幸せです。
産後、「子どもが可愛くない」とか「母親になる自身がない」とかで悩んでいるあなた!大丈夫!全部ホルモンのせいです!

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【実録出産②】本当に私の中から赤子が出た!

今週はたーくんの泊まりの出張がもうずっと前から決まっていて、数週間前から絶望していたのですが、大学時代の友達が泊りがけで駆けつけてくれて本当に助かりました。
家事やらの生活面ではもちろん、日本語が通じる人間が一人いるだけで気持ちの余裕もできてやっぱり育児はみんなでするもんなんだなと実感。
今日のお昼過ぎに帰っちゃったんだけど、明日にはたーくんも帰ってくるしなんとかがんばろう。

ということで、実録出産の後半戦です。
いよいよ赤子爆誕だぜ!

 

9月27日(火)

PM6:00

「今日中には生まれるよ☆」と言われ分娩室から陣痛室へ歩いて移動。距離にして7~8m。この時は痛いけどまだまだ歩く余裕もあり、新生児室にいた赤ちゃんを見て「あー可愛いなあ」と思うくらいには元気でした。陣痛室前で待機していた母親と旦那の顔を見てホッと一安心。陣痛室はベッドが1台と洗面台があるだけ。そして、部屋には夕食が運ばれていました。通っていた産院はごはんがおいしいと有名だったんですが、本当においしそうで「やったぜ」くらいにこの頃はまだ食い意地の張っていた私。
とはいえその前に、家からはいて来ていた産褥ショーツが血みどろになっていることに分娩室で気づいたのではきかえることに。パンツを脱いではき替えるという動作がこんなに難しいと思ったのは生まれて初めてでした。そして、母親と旦那に介助されながらパンツをはき替えているというシチュエーションがなんともシュールで、朦朧とする頭で「なにこのカオス」と思っていました。(ちなみに、この時血みどろだと思ったショーツはまだまだ序の口で出産後さらに汚れたのではき替えなきゃよかったなと後悔しました。)

 

PM7:00

痛みがどんどん本格的になってきて痛みの間隔も短くなってきました。1時間前は食欲もあったのにそれどころではなくなり、母親に口に運んでもらってなんとか食べていたのも断念。ベッドの上で四つん這いが一番楽で頭の片隅で「やっぱり人間も動物なんだな」とぼんやり思ったり。旦那さんにいきみ逃しのためハンドボールで肛門をおさえてもらい、腰をさすってもらうと幾分か楽でした。出産前は「ボールで肛門おさえるってなんだよ」と思っていましたが、さすが先人の知恵です( ˙-˙ )この頃には子宮口7cmくらいでした。

 

PM8:00

耐えに耐えましたがあまりの痛さにナースコール。助産師さん曰く「いい感じに下りてきている」とのことでしたがもう少し下がらせるため体勢を変えることに。ベッド横に持って来られた低めの椅子(というか踏み台)に和式トイレに座るみたいな体勢にされ、上半身はベッドへ突っ伏してとにかく呼吸をすることに意識を集中しました。この体勢が案外楽(と言ったら語弊があるけど)で、かなり痛みと戦うことができました。そしてこの頃には痛みと痛みのほんのわずかな間に意識が飛ぶようになっていました。感覚的にはうたた寝。(なんていうかわいらしいものじゃないけど)あんな壮絶な中睡魔が襲ってくるなんて相当体力を消耗していたんだなと思います。そして、この間も旦那さんがずーっと腰をさすってくれていて、それが本当に助かりました。

 

PM8:30

病院に来た時から助産師さんに何度も「う○ちしたいような感覚が来たら教えてね」と言われていて、「なんだそれどんな感覚だよ」と思っていたのですが、うん、確かに、う○ちの時の感覚と似ている。それは突然やってきました。「なんか・・・出る・・・っ」とやっとの思いで絞り出しナースコール。子宮口9cm。あと少し開いてほしいけどもう分娩室行っちゃおうってことでそこからまた分娩室へ移動。もちろん徒歩。「嘘だろ・・・」と思いましたが助産師さんに無理やり立たされ、歩かざるを得ない状況に。
その上、尿意なんて一切なかったのにトイレにも無理やり行かされました。挙句「イキんじゃダメだよ☆」とか言われて、いやいやそんなの無理じゃね状態。例えるなら、猛烈にお腹を壊してトイレに駆け込んでもういつでも出せるのに「出しちゃダメだよ☆」と言われている感じです。どんなSMプレイ。案の定、おしっこは出ないけど股からなんか出てきそうでそれを我慢するのに必死で、しかも便座が悪露で血みどろになってしまいあわあわしてしまいました。トイレから出るとさらにイキみの波がやってきて壁にもたれかかり、波が引くとすぐに「さあ行くよ!」と言われ「どんな地獄だこれ」ととんでもなく辛かったのを覚えています。

 

PM8:45

分娩台に乗るとあっという間にもう今すぐにでも出るわ!っという感覚になったのですが、やっぱりここでも「まだイキんじゃダメ」と言われさらなる地獄でした。助産師さんたちはバタバタと出産準備をしていたため、旦那さんが肛門をおさえていたのですが、位置はズレてるは力は弱いはで全くイキみ逃しができず「もう出る出る出る出る!!!!」となってしまい叫んでいると体力消耗するから叫ぶな助産師さんに叱られ、ふざけんなよそんなの無理だってばよ!!!!と絶望の数十分でした。

 

PM9:00

いよいよ子宮口全開大になったようで「よーしそれじゃあもうイキんでいくよ!」と助産師さん。この時ほど「やったあああああああ」と思ったことはありません。旦那さんが「あとどれくらいで出てきますか?」と聞いたら「うーんあと30分くらいかな」と。本日何回目の「・・・嘘だろ」。でもあと30分で解放されると思うとみるみる力がみなぎってきました。それからは助産師さんの指示に従って息を吸ったり止めたりイキんだり。ホントに何かが私の中を通って下りてきている感覚がありました。いよいよ出てくるという時に覚悟していた会陰切開。「陣痛の痛みで切開の痛みは感じない」なんてよく言うけれど、私はバチンッって音もばっちり聞こえたし多少の痛みもありました。まあ、でも確かにそれどころではなかったけれど。

 

PM9:20

何度目のイキみだったかはもう定かではありませんが、何かがドゥルンと出てきた感覚がありました。事前の母親学級で「出てくるところ見えるからイキみの時に目は閉じないように」と言われていたのを忠実に守って目を開けていたのですが、そのドゥルンとほぼ同時に目の前に何か紫色の塊が現れました。その時が来たのがあっという間すぎてそれが我が子だと認識するにはしばらく時間がかかりました。股の下で何か吸引するような音が聞こえたと思ったら「オギャー」と産声が。赤 子 爆 誕 !
出産前のイメトレでは絶対号泣する手筈だったのですが、いざその瞬間を迎えてみると「ホントに出た」「やっと出た」「マジで出た」という感情の方が強くて涙は少しも出てきませんでした。同じく旦那さんも陣痛からの爆誕までが本当にあっという間すぎてなかなか感情が追い付かなかったようで、爆誕後しばらくしてからほんのり涙がにじんでいました。

 

その後

その後は胸の上に抱いて記念写真を撮ってもらったり(撮影のために髪の毛を整えていたら「もうそんな余裕があるの!」と驚かれる)、分娩台横の機械の上に乗せられてうごめく我が子を見つめ可愛いとつぶやいたり、分娩室に入ってきた母親に「こんな思いをしてまで私を生んでくれてありがとう」と言ったり(そういやこの時が一番泣けた)、会陰切開されたところを縫合されたり、カンガルーケアと称して助産師さんに乳首をつまみしごかれ無理やりおっぱいを吸わせたりして2時間ほどを分娩台の上で過ごしました。
母子手帳に記載されている正式な分娩時間(陣痛が10分切ってから胎盤が出てくるまで)は6時間27分でした。初産なのにあまりにも早かったので、「2人目の時は必ず今回の分娩時間を申し出てください」と何度も念を押されました。(一般的には2人目は1人目の分娩時間の半分になると言われているらしく。じゃあ次は3時間で出てくることになる。早すぎワロタ。)あっという間の出来事だったけど汗だくで筋肉が見たことないほどプルプルしていたので出産って本当に大仕事なんですね。
ちなみに、出産当日3日ほどの便秘に襲われていて「これ絶対赤子と一緒に出るやつ・・・」と申し訳なく思っていて、実際イキんでるときにも「あーこれ絶対出てるわー」という感覚もあったのですが少しも出ていませんでした☆(産後、分娩台の上でいろいろ処置されている時に助産師さんに「出てました?!」と聞きました。笑)

 

そんなわけで、私の出産記録でした。私は小さい頃から下半身が太いことがコンプレックスで親や祖父母からも「安産型ね☆」と言われ続けていました。なので産前は、「これで安産じゃなかったら何のためのデカ尻だよ!がんばれよお尻!」と言い聞かせていたのですが(尻に)、いや~なんとも素晴らしいまでの安産型でした。この時ばかりはデカ尻様に感謝をしたものです。
それにしてももうあれから1ヶ月が経とうとしているんですねー。育児ってホントノンストップ。ていうか、このスピードで月日が流れていったら、あっという間に来年4月がやってきて復職とかしなきゃいけなくなるな。寂しいな。(と、ようやく思えるくらいには育児に慣れてきたということでしょうか。)

【追記】
そうそう、産前、あれだけ義母・実両親がウザいなんて言っていましたが、いざ陣痛を迎えてみるとそれがたとえ義母であったとしても誰かそばにいてほしいと思いました。なので、実母が駆けつけてくれたことは本当にありがたかったです。たーくんはそれはそれは献身的にサポートしてくれたけれど、育児と一緒でやっぱり人数がいるに越したことはないです。たーくん自身も「お母さんが来てくれていてよかった」と言っていました。なので産後、あんなにツンツンして疎ましく思ってしまったことをとても後悔し反省しました。ホルモンの関係とはいえ、私は何をあんなにガルガルしていたのかな。産後も実父に対してはガルガルしてしまったのですが、実母や義母に対しては寛容に過ごせていると思います。ただ、実母も義母も同性であり経験者なので、私のガルガルも理解してくれていたようで、それがまたありがたいことだなあと思います。産後は「頼る力」を最大限に発揮しないといけないと言われますが本当にその通りだなあと思う毎日です。

 

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【実録出産①】本当に私の中から赤子が出た!

ご無沙汰しております。
最後の更新から早1ヶ月が経とうとしているなんて信じられませんが、2016年9月27日に晴れて母になりました。
陣痛が来たの昨日のことのように思い出せるのに、もう1ヶ月とか・・・!
とりあえず今日は、【実録出産】と題し、出産の記録をお届けします。

 

9月26日(月)

AM5:00
ブログにも書いたように、陣痛が来る日の1日前の9月26日におしるしがありました。母に連絡したところ、飛行機ですっ飛んで来ることになり、私は夕方散歩がてら駅まで彼女を迎えに。この日は夕方になっても夜になっても陣痛の気配すらなく、むしろ体調ばっちりで夜ごはんをもりもり食べ、ぐっすり眠りました。

 

9月27日(火)

AM9:50

ツイートしている通り、何もないまま翌朝を迎え、たーくんは普通に出勤。私は母の作った朝食を食べ、そわそわしつつこのまま陣痛になったらできなくなるからといそいそと家事をしたり、入院準備品の最終チェックをしたりして過ごしました。

 

PM12:45

母とお昼を食べに出ようとしていた矢先、下腹部に痛みを感じました。痛みは例えるなら生理痛の軽い感じ。振り返れば、これが陣痛の第一波だったわけですが、いかんせん陣痛を経験したことのない私は、「そんなに痛くなかったし気のせいかも」と思い、普通に歩いて20分ほどのところにある食堂に母と出かけました。

 

PM1:30

お昼ご飯を食べ終え家へ帰る道すがら、また痛みを感じました。この時の痛みは、歩けないことはないけどでも普段通りに歩くのは無理って感じで少し歩調がゆっくりに。

 

PM2:00

とにかく陣痛を促進するために家への道を遠回りした私と母。近所にある第一希望の保育園や、分譲住宅地を見学しつつあと少しで家ってところでまた痛み。この時は歩くこともままならず、「痛い痛い」と足を止めました。でも、この時ですら「痛いけど、陣痛じゃない気がする」と思っていた謎( ˙-˙ )

 

PM2:30

家へ着くなり急いでシャワーを浴びました。この日は9月の下旬だというのに30度を超える真夏日で、昼食を食べに行く+痛みで汗だく。「もしこれが陣痛なら次いつお風呂入れるか分からないし」と思ったのですが、後で振り返るとこれが正解でした。お風呂から出ていろいろしているうちにまた痛みが。この頃には四つん這いが一番楽な姿勢となっていましたが、やっぱり陣痛かどうか確信が持てなかったのは、痛みが思ったほどではなかったからかもしれません。この頃には生理痛のひどい時くらいになっていました。

 

PM3:00

いよいよ痛みが10分間隔になってきました。とはいえ、「結構正確に10分間隔で痛みがくる」と聞いていたのに私の場合はバラバラ。10分くらいの時もあれば5分とか17分とかの時もある。私の測り方がおかしかったのか?こんなこともあってますます陣痛に自信が持てなってゆく。ただ、とりあえずたーくんに電話。終業までもうすぐなので仕事終わったら帰ってもらうことにしました。まさかそんなすぐ病院に行くことになるとは思ってもいなかった。

 

PM4:30

つい先ほど10分間隔になったばかりなのにあっという間に10分を切り始めました。そもそも、10分間隔になるのにも何時間もかかると聞いていたのに陣痛第一波があってまだ4時間くらいしか経っていないんですけど・・・!この頃にはさすがの私も「あ、これ陣痛だわ」と思い始め、母に促されるまま産院へ電話し、状況を説明したら「じゃあ来てみようか」となったので向かうことに。たーくんも「仕事が手につかん」ってことでタイミングよく帰ってくることに。産院は歩いて5分くらいの距離にあったので、母に付き添われ無謀にも歩いて行った私。産院着くなり助産師さんにギョッとされ「車で来ようね」と諭されました。

 

PM5:00

分娩室にてNSTを付けられ陣痛の具合を見られソッコー「入院しましょう」となる。「日付が変わる頃には生まれるんじゃないかな☆」と言われ「マジかよ・・・」となりました。この頃にはまずまずの痛みで、分娩台の手すり?みたいなものをギュッと握っていないとだいぶツラい。分娩室に流れていたミスチルのオルゴールバージョンに、「最高のチョイス」と感動しながら歌詞を口ずさむことで気を紛らわさないとやっていけないくらいにはツラい。のたうち回るくらいひどい生理痛のさらに倍はひどい。バファリン飲んでも無理そうな感じ。とはいえ、まだまだツイートしたりLINEしたりしていて、途中見に来た先生にも「まだまだ元気だね」と言われキモイ半笑いで「は、はい」と返すくらいには余裕がありました。

 

とりあえず第一弾はここまで。
この後陣痛室からのあっという間に分娩台に逆戻りからの赤子爆誕へと続きます。

それにしても久しぶりにPCをこんなにいっぱい触りました!(といっても1時間くらい)
無理せず合間合間に更新できたらいいな~と思います。
我が子は夜はよく寝てくれていい子!

 

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